台湾大震災から4ヵ月が過ぎようとしている。 あの出来事自体が、もうすでにずっと過去のことのように思えるほど、市内は なにも無かったようにいつもの活気を取り戻している。しかし、一方で被災 者は、今もなお、明日をも知れぬ厳しい生活を強いられている。家族を失った ご遺族の悲しみは筆舌には尽くしがたい。この悲劇がいつわが身に降りかかる のか、それは誰も知り得ない。だからこそ普段の準備、心構えをおろそかには できない。『安に居て危を思う、思えばすなわち備えあり、備えあれば憂 い無し』古人の教えのごとく、この被災体験が読者の一考に寄与することを願 って・・。(記;テッシー2000.1.19)

1999年9月21日午前1時47分に、台湾中部の山村『集集』を震源とするマグニチ ュード7.3、震度7の巨大地震は発生した。南北約100`の活断層に沿って、東 西に台湾は激しく揺さぶられた。この大地震で2400余名の尊い命が失われた。 地震発生のそのとき、私は震源から約50kmの町「二林」に居た。仕事の関係で、 ここに移り住んで約十ヶ月が経っていた。仕事が一段落して、本社がある台北 へ引っ越す準備も終え、9月21日の翌朝に引っ越す手筈も済み、その夜は宿 舎でいつもの様に台湾の職員と食事をし、お酒を飲んだ。ちょっと飲みすぎた こともあり、11時過ぎにベッドにもぐりこんですぐに寝てしまった。

激しい揺れがしばらく続いた。その揺れが横揺れだったのか、縦揺れだったの か、今をもってしても記憶が定かでないが、激しい横揺れだったと推測する。 その揺れの間、1歩も動くことができなかったのだから・・。 揺れがおさまったので、すぐ玄関のドアを開け、そして反対側に走って窓から 外を見まわした。真っ暗ではあるが、どうやらまわりの建物が倒壊した様子は ない。真っ暗闇を見つめていたとき、体の芯から何物かが涌き出てくる様に背 筋がぞくぞくしてきて、居ても立っても居られなくなって、夢中で懐中電灯を 探した。

それからまもなくして、大地震は起きた。いつ目覚めたのか、どうして目覚め たのかわからない。地震発生のその瞬間というものを今をもって思い出せない のだ。今、記憶に残っているのは、ベッドの側で立ちすくんでいたこと。そし て、いつも付けてあるスタンドの明かりが突然消え、一瞬のうちに闇夜に放り こまれたこと。ただそれのみである。それが痛飲のせいなのか、それとも完全 に茫然自失の状況にあったのか・・。ただそのとき、今まで感じたことのない 激しい揺れの中で冷静さを失っていたことは間違いないようだ。

ところが運命のいたずらか、いつもは枕元に置いてある大型の懐中電 灯も荷造り荷物の中にしっかり収まっている。部屋中ダンボールの山だ。記憶 をたどりながら、その箱山を手探りで探し回った。焦った、見つからない。 念入りにテープで巻かれた箱は容易には開けられない。一つの箱を開けるのに 時間がかかる。違う、これも違う。気持ちは焦るが、焦れば焦るほど手が震え てかえってうまくいかない。やっとのことで、四つ目の箱でようやく懐中電灯 を探り当てた。と、そのときまた全身を激しい揺れが襲った。



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